#13 もう一つの日本
Hola.
昨日記事に書いた「ユキさん」の話に感心したので、
今日はその話をします😏
まず、ユキさんとは誰か。
他己紹介します!!
(なんか新歓っぽい!笑)
(そういえば、そろそろ新1年生が入って来ますね😉)
(秋に会えるのが楽しみ!)
ユキさんは、
日本で生まれ、
29歳まで日本でバリバリ会社員してました。
しかし、
「30になったらもう好きなことできない!!!」
と、仕事を辞めて、
もともと興味があったペルーに単身で飛び込んだそうです。
最初は、
観光ビザで入国していたのと、
ペルーに職があったわけでもないため、
4ヶ月くらいの滞在でした。
ちなみに、
この時滞在していたのが、
今、私がホームステイしている家です。
だから、今でもうちによく遊びにくるわけです😊
では、何をしていたのか。
ペルーの「日系社会」に興味があった彼女は、
日系社会に実際に飛び込んで、
自分の肌でそれを学んでいきました。
以前書いたように、
私のホームステイ先の家族も、
日系ペルー人です😉
4ヶ月で、ペルーにどっぷりハマったユキさんは、
帰国後も、
日本で貯金しては、
ペルーに来てを繰り返していたそうです。
そして、4年前、
ペルーで出会ったペルー人との結婚を機に、
このペルーに本格的に移住することを決心しました。
今は、日本人向けの旅行会社で働きながら、
ペルー人の旦那さんと暮らしています。
(人生のクセが強いんじゃ😂笑)
それでも、
そこまでユキさんを魅きつけた
日系社会
とはどのようなものなのか。
恒例の
お勉強ターイム👀!!!
いきましょう👀
ペルーでは、
スペイン植民地時代より、
奴隷制が色濃く根付いていました。
そんな奴隷社会に転機が現れたのが、
19世紀になってから。
(世界史を思い出す〜〜〜〜😨)
ペルーが独立を達成し、
その際に、奴隷制廃止が宣言されました。
そして、独立から30年経った1954年、
ついに奴隷制廃止が実現😢。
さて、
この時困ったのは、
寡頭支配層と大農園主です。
(要は、奴隷を実際に保有していた立場の人々)
今までの黒人奴隷が解放され、
彼らは多大な労働力を失うことになるのです。
そこで為された解決策が、
「移民」労働者でした。
当時、ヨーロッパ系移民は、
飛躍的経済成長を遂げていた
ブラジルやアルゼンチンを好み移住していたため、
ペルーはアジアからの移民を求めました。
日本も然り。
どおりで、
寿司屋や中華(Chifaって言います)を
特によく見かけるわけです。
実は、
日本が南米諸国で初めて国交を結んだのは、
ペルー。
それから、紆余曲折ありますが、
(今日の歴史の授業はここまで😏)
(実際は、常に良好な関係であったわけではない😰)
何百人、何千人、何万人という人々が、
ペルーに移住していきます。
そして、現在では、
彼らの子、孫が「日系ペルー人」として暮らし、
ペルーの日系ペルー人は数十万人に達すると言います。
約20万人だから、
同じくらいの人々が日本の名を背負って、
ペルーで生活しているわけです。
不思議ですね。
ユキさんは、
「もう一つの日本があるみたい。」
と言っていました。
彼らは、顔はペルー人でも名前は日本人であったり。
アキラ、ヒロミ、ナカソネ、サトウ。
顔は日本人なのに、スペイン語しか話せなかったり。
家に仏壇や畳があったり、
ひな祭りを祝ったり、
三味線を引いたり、
日本食を食べたり。
日本語で診察してくれる日系病院だってあります。
日本からは遥か遠く、
地球の反対側にあるペルーに、
まるで、もう一つの日本があるかのように思えます。
そして、
「そんな世界があることを、当の日本人は知らない。」
と。
たしかにと思いました。
私も、こっちにくるまで、
こんなに日本文化がペルーに根付いてるなんて知らなかったし、
こっちに来てびっくりしたくらいです。
最後にユキさんは、
今の仕事で、日系社会の面白さを日本人に伝えたいと。
ユキさんの仕事は、「日本人向けの」旅行会社。
素敵だな。
と思いました。
自分もいつか、
そんな、
夢を持って仕事が出来たらなと思いました。
その大小は問わず。
(ペルーに移住しようとは思わないですが😛笑)
終わり。
最近の悩みは、
ブログが長くなっちゃうこと😂
1000字くらいで収めたいな〜。
(書き始めると止まらなくて眠れない😪笑)
見てて飽きない内容になるように頑張ります👍
ではでは、Chao! 💤